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2023年8月16日水曜日

Bazil Newman Riverfront Park (&草)


  あっという間に、夏です。…と思ったら近所のホムセンでは早くもハロウィンの商品への入れ替えが始まってたりして、「ちょっと待ってくれ~!」と思いました。まだ夏を満喫した実感もないうちに、慌ただしいですね。私達はアッと言う間に過ぎ去った東京帰省を終えて、バージニアに帰ってきたばかりです。

 今週は、帰省の間シッターさんの家で過ごしていたコディを連れ出してせっせと夏らしいことをしました。木の生い茂った公園の開拓が楽しいです。自分とコディのオヤツを持ってきておき、公園の見どころっぽいところに来たら腰を下ろして分けて食べます。ずっとこうしていつまでもコディと冒険を続けたいですが、果たしてあとどれだけ付き合ってくれるだろうか、などと考えるようになりました。

 Bazil Newman Riverfront Park(地図)は、ポトマック川の流れに沿った公園です。最近、このポトマック川という奴がだんだんわかってきたのですが、この川は水流が変則的なのと、水面下に思わぬ障害物があることもあるのでちょっと注意が必要です。急に深くなったところに、動かせないぐらい大きな流木が沈んでいたりするので、たまにリードをつけたまま犬を泳がせているひとを見ますが危ないなーと思います。近くに住宅街を流れるグース川の注ぎ口があるので降雨後一週間ぐらいは水質的にも犬の水遊びはやめたほうが良いでしょう。


川に降りられるところがあると大急ぎで寄っていくコディ
私がどんな顔をしているかすごくチラチラ見てくる



 お呼びでないかも知れませんが・・・草たちも元気にしています

 休暇中、水やり係(私)がいなくなったので各自茶色や紫に変色していましたが、緑に戻ってきました。今回の日本では作家さんの作ったいい植木鉢をいくつか買って、船で送ってあるんで、届くのが非常に楽しみです。割れずに海を超えてくれますように。いやあ、早く草を植えたいですね。何を植えるかも何も決まっていないけれどひたすら楽しみだーーー。(二回目)




 ご覧ください、色白の草も生えてきました。こういうのは色彩の変異としてはグレードが低く、日本では誰も見向きもしないですが、海を渡ったここアメリカではお客さんが来るたびに、ワオ!イッツソープリティ!植物ヲソダテルノウマイ!ベリービューティフル!と言ってもらえます。場所が変われば評価が変わる典型ですね。私達人間は植物にはない足がありますから、自分が最も評価してもらえるであろう場所へ少しずつでも動いていきたいものです。


2022年10月18日火曜日

W&ODトレイル


 2ヶ月に及ぶ夏休み戦争も終わり、ふと気が付くと私達の住むバージニア北部の田舎ではすっかり季節が変わっていました。特に朝夕なんかは草つゆも薄っすらと凍り、犬の吐く息も白く、藪からは微かな虫の声が聞こえます。朝夕の散歩で視界の端を行き過ぎる木々の梢がいかにも夏をがんばりぬいたという風体で、冷たいそよ風に遊んでいます。木の葉は、そして、ある瞬間に思い立ったように枝から離れ、はらりはらりと一回切りの遊覧飛行へと旅立って行きます。コディはいつの間にか口のまわりに白髪が増えてきました。

話しかけると耳だけで「きいているよ」と返事します おりこうですね ※親バカ

 ここは最近よく歩いている、近所のワシントン・アンド・オールド・ドミニオン・トレイル(W&OD Trail)です。1800年代後半から900年代にかけて使用された鉄道の線路の上を舗装した全行程116キロ、幅約30メートルの「最も細長い広域公園」としてノーザンバージニア公園局に管理されています。地元のランナーやサイクリスト達にとってはお馴染みのトレイルであり、最近は電動の乗り物で行き来する若者や元気のいいお年寄りなんかも見かけるようになりました。

 W&ODトレイルの面白い点に、主要なトレイルの横に沿うようにして「ブライドル・パス」という小道があることが挙げられます。最小限の整備をされたこの道はホースマン専用路なのです。私とコディはサイクリストの邪魔にならないよう、ふだんはこの馬用の道を歩いています。午前中などに行くとときどき小山になったもう見るからにホカホカの「おみやげ」が落ちてることもあってコディは大喜びです(やめ~い)。

 馬専用路は、土が柔らかい所に他の通行者の足あとがついていたりして、静かですが、にぎやかです。おそらく早朝に散歩しているコディよりでかい足あとの持ち主もいるんですよ。どんな犬か分からないけど、コディより2まわりはでかい足です。となりを歩いている人間の足あとは、作業靴を思わせるものなので、近所の牧場で家畜を守っている犬かも知れません。いつか会ってみたいです。あと雨の日に行くとすれ違うのがジャーマンシェパードの飼い主ばかりで面白いです。シェパードの飼い主には規則正しい毎日の習慣を守るタイプが特別多いのか?雨の日でもガタガタ、ピーヒャラピーヒャラ言う犬を飼っているからか?両方かな…


 季節が変わりだんだん朝晩の冷え込みが厳しくなってきたので、外に置いていた植物も中に入れはじめました。上の写真の奥の方にあるゲンコツみたいなサボテンは、珍奇な見た目で夏中楽しませてくれました。いつも思うのですが、多肉植物って安いのにこんなに面白くていいんでしょうかね?なんか、申し訳なくなっちゃいます。屋内で育てると光量の問題があるので心配ですが、せめて長生きできるようにまめにチェックしてこうと思ってます。年度終わりに小学校の先生への贈答用でキープしてたエケベリアだけややネグレクトされてて罪悪感がある。笑


 子供も無事、アメリカの小学1年生になり、元気に学校に通ってます。9月の終わりに7歳の誕生日も迎えて、ひとまずはここまで無事に大きくなってくれてありがたいな、ありがとう、という気持ちです。習い事でここ1年ほどアイススケートをやっていたのですが、先日急にアイスホッケーをやりたいとか言い出し、とんとん拍子に話が進んで、今はちびっこ用のチームに入ってプレーしています(手前の白いヘルメットがチビ)。先日初めての遠征試合があり、大きい子達に交じって1スコア入れていました。

 自分達の家系はアイスホッケーを見る人ばかりで「やる人」が出たことはなかったんで、子供が小さいながら自分の考えで人生の舵を取りだした感があります。今後どこまで続くかは知りませんが、やるからには心身をしっかり鍛えてゲームをよく見て、チームの役に立つ人になれと言っています。まわりの子より始めたのが遅かったらしく課題は沢山ありますが、後方支援に徹したいです。まずは黒いヘルメット代を稼ぐところから(笑)


 「犬を飼う」ということは、特筆するような活動ではなく「生活のなかに犬がいるというライフスタイル」そのものであるとよく思うのですが、「運動の稽古事をしている」ということもまた、生活のなかにスポーツがあるというライフスタイルなんだと、始めてから気付きました。その本質は毎日の学習、トレーニング、観察と考察とメンテナンスの継続です。これも犬を飼う時といっしょですね。

 こうやって考えるとなんだか大事なことは全て犬に教えてもらっている気がしてくるわけであります。おっと…、、、また、世の中の全てに犬を関与させる愛犬家独特の異常な思考回路を披露してしまった。私、ブログをつけてきて久しいのですが、偶に現れるコアな人以外めったにコメントがこないのは多分、この奇天烈な思考が文の随所に漏れているからかなあ?と思っています。まあ、思ったところで直せはしないのですが…(つら)


2021年8月4日水曜日

Ball’s Bluff Battlefield Regional Park(1)



 少し涼しくなった月曜日、娘を夏教室(サマーキャンプ)に行かせた後に少し時間が出来たので、北バージニアはリースバーグにあるボールズ・ブラフ戦場公園へ足を延ばしました。犬・人共々、コロナと子供に付き合う日々で体幹が完全に衰えているので、未舗装路でバランスをとったり、高低差のあるハイキングをもっと頻繁に行いたいです。

 北バージニア圏で高低差のあるハイクを目指す場合、山に行く以外の選択肢として、ポトマック川周辺がオッズが良いように思います。周囲の公園は、川に近づくにつれてどんと落ち込む地形がよく見られるためです。今回のボールズ・ブラフは、トレイルが起伏に富んでいるわりに距離は短くて小ぢんまりとしているので、お迎え時間に追われる私のような者にとっては気軽に訪れることができて、助かりました。


 写真を撮るために立たせていますが、地域の野生生物管理局の登録地なので、犬はリードが必要です


 バージニア州、とくに北バージニアは、首都ワシントンDCの付属都市としてであったり、ビジネスセンター、テック・センターとしての機能が取り沙汰されることが多いですが、実際に生活しながらよく目を凝らしてみると入植時代から連綿と続くアメリカ史の中で重要な史跡類が数多くみられます。

 ボールズ・ブラフは戦場公園の名の通り、南北戦争時の戦場の跡地です。名もない兵士の墓標や、当時の食糧庫など建物の一部が保存されています。今回は時間の関係で、史跡サイドには立ち寄れなかったため、また戻って来られた時には、「ボールズ・ブラフその2」としてまとめたいと思います。




 車で通りすぎるだけでない、久しぶりのポトマック川です。近くで見ると、あまりきれいでもない泥水の川ですが、ちゃぷちゃぷした音を聞いたり水面に頼りなく浮かぶ流木などを見ていると、日頃のストレスが洗われるような気がしました。160年前はここは戦場だったと思うと不思議な気分になります。

 水が大好きなコディ君は本当は飛び込みたくて仕方ないので、逆にストレスをためていました。今日は我慢しなさいと言われ息を荒くしていた(笑)。上の写真も、あわよくば上半身だけでも、いや前足だけでも、水に浸したいと思っている目をしてます。こういう時、前足だけなら…、などという情けは無用です。なぜなら前足が入ったと思った瞬間、頭までガボッ!と水に突っ込んでしまうからです。そして水にぬれた頭を、丁度よい高さにある私のまたぐらに突っ込み、頭を左右に動かして満遍なく泥水を塗りたくるからです。


坂道の興奮を落ち着けようとツユクサをバリバリ食べる犬


 川からの帰り道は、急こう配の細道をふたりで上がってきました。こういう運動を求めていたと身体で感じ嬉しくなりました。息を切らしながら上がってきた細道の頂上付近には、乗り越えられるかぎりぎり位の大きな倒木までありました。こういう時いつも犬はチラッと私を見るのですが、よし!いこう!と肩をパンとやるとがぜん気合が入るらしく、えい!と力を入れて乗り越えていきます。コディはいわゆるスポーティさはない犬ですが、ばんえい競馬の馬などに見られる類の健気さがあって、大きなチャームポイントだと思います。また「乗り越えられない」と自己判断した時に見せるショボショボとした申し訳なさそうな目にも、特有の味わいがあります。


2019年6月4日火曜日

雷が来る前



 仕事から帰ってくる最中、西の方で雷雨警報が出ていたので、2時間程で自分のところまで到達すると考え、このブログにももう何度も登場している(→登場その1登場その2バージニア州ターナーファームへ散歩に行きました。私が出かける日は朝から殆ど動かしてもらえないので、家の中で退屈していた犬です。大喜びで走り回り、ボール拾い、馬用の堀を飛び越えたり、馬糞を味見したり、ワタオウサギの通った後を嗅いだりする横で、いかにも怪しい黒い雲が沸き立つ様子を眺めました。雷雨という気象イベントはわくわくします。こういう時に急に冷たい風などが吹いてくると、おっ、来るな!という感じで、走り出したいような高揚感を感じます。


「ここはよく馬糞が落ちているところだよ。おいしいよ。」

 かと思えば急にまぶしい日が照ったり。この心をかき乱す空の様子を見て、昔の人は、妖怪や神様を連想しました。私達の脳は否定形を認識出来ない、と聞いたことがあります。科学が発展する前、天気などの現象の起きる理由についても「(理由が)ない(=わからない)」ものをそのまま「ない」としておくことが出来ず、なんとかして「有る」とこじつけた結果が神話や物語なのだと考えると、空想を産む構造になっている自分の脳に愛着のようなものが芽生えます。


ダニが~~~草のタネが~~~

 コディはセージとかローズマリーとかの刺激臭のする薬草系の匂いが大好きです。ここの牧場の傍に生えている名前の分からない葉が三角形の植物も、つぶすと強いハーブの匂いがして、たまらないようです。葉っぱを見つけるとゴロンゴロンと全身にまんべんなくまぶそうとします。すべてをなぎ倒してめちゃめちゃにするので、娘と一緒に見ていた「しぜんとあそぼ」のイノシシを思い出します。なんか、ドクダミとかも好きなんじゃないかな?生えてなくてよかった。

 好きな匂いと言えば、女性用の制汗剤に含まれている何か特定の物質にも、強烈な反応を示す事がありますね(笑)。この行動、ふだんの生活の中ではただ笑えるだけなので今まで問題視したことはなかったのですが、最近行き始めたややお堅めの訪問先だと、皆スーツやフォーマルな白のブラウス等を着ているので、毛や鼻水が付着することを避けねばならず気が抜けません。突然そういう機会がやってくるので防ぎようもないし、訪問中は場にネガティブな印象を与える「NO」という言葉も使わないようにしているので、困りました。


 10分位思い切りゴロゴロして、そのあとはこうしてひっくり返ったまま頭だけ動かし草の匂いを嗅いでいました。この時、コディの太ももらへんにあるこんもりした草のかたまりの中から、野生のハツカネズミみたいな小さな茶色いネズミが飛び出して、命からがら走り去っていくのが見えました。ネズミにとってはとてつもない大災害でしょう。多分、怖くて固まっていたけど、ガサガサが止まったので意を決して飛び出したのだと思います。さっきヒトの脳はわりとショボいなあ~という話になっていましたが、このように「幸福はいつも知らない誰かの犠牲の上に成り立つ」と、その事を認知出来る点についてはなかなかいいと思いました。

2019年6月2日日曜日

いちご祭りにて


 週末は、バージニア州スカイ・メドウズ州立公園ストロベリーフェスティバルに足を運びました。ワシントンDCからだと大体1時間20分ほどの場所に位置し、豊かな自然とワイナリーに囲まれた風光明媚な田舎の公園です。山積みになったいちごのカートンの出店を抜けると、ノーマン・ロックウェルの1940年代の大衆絵画からそのまま抜け出てきたような、年老いた大道芸人がいました。アメリカにもさるまわしがあることを初めて知りましたが、動物愛護の気運も高まるこのご時世においては、こうして野生生物を使役して収入を得るということは、失われていく文化・芸能のひとつと言えるでしょう。

 3歳と8カ月を迎えて、知性が犬を上回ってきた「ちいさいにんげん」の世話が本当に忙しくなり、最近全体的に遊び足りていないコディは、悪い子でした。最近気付きましたが、犬って、足元が芝生だとてきめんに行動が変わりますね。この日の朝も運動が足りていなかったコディは走りたそうにあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、終始いれ込んでいて、いちご屋のディスプレイに突然前足を乗せたり(!)しまいには大きなダニを2匹くっつけて帰って家で念入りにブラッシングにかけねばならず、100点満点でいうと20点くらいのワルでした。

 どこへ行っても、行儀がいい、頭がいいと、割と褒められることの多い犬ですが、慢心せずいつもきちっとコンディションを整えてくることの重要性を再確認しました。


ワルの顔になっております。

 スカイ・メドウの名前の由来になったと思われる、広い空と丘陵を背景に写真を。こんな風景がどこまでも続いています。ワイドアングルのレンズじゃなかったのが残念です。そういえば最近、仲の良い友人の子供が洗礼を受けたのですが、家族の由来のあるヨーロッパの一地方に一族で何十人も集っている写真を見ると、とても賑やかで楽しそうでした。

 そんな様子を見た後だと、私達の家族写真はとても寂しく感じます。皆遠い所からやってきて、今この地に根付こうとしている3人きりのチームです。自由と孤独とが心中に去来します。喋らなくても、いたずらをしたり自己主張をしたり、フカフカとした毛の温かさを家庭に添えてくれる犬の存在は、我が家にとってとても意味があるのではないかと思いました(たとえワルであっても)。


2019年4月1日月曜日

手に汗にぎった事


 バージニア州ハーンドンにある、フレッド・クラブツリー公園にて。地図だけでは見えにくいですが、いたるところに小川があり、一部泳げるような深さになっている場所もあります。公園内の遊歩道も結構高低があり、ハイキングや水泳が好きな犬ならばおすすめ。コディも今年最初の水遊びを楽しみました。こういう所に来ると、ラブとか水遊びが好きな犬を飼ってる犬ともがいたらいいのになと、妄想してしまいます。


 別件、3歳半の子供の認知能力を過信してはいけないなと知った出来事。

 うちは古くて狭いタウンハウス(メゾネット的な家)なので、コディのえさ皿と水入れは、スペースの制約上玄関のお客さん用のバスルームに置いてあります。昨日夕飯の準備をしながら、コディが水を飲みに行けるよう「『コディ君のドア』開けてあげて」と娘に言ったところ、ガチャガチャと扉を開ける音がしたので安心してまたレンジに向かっていました。ところがしばらくして、娘がモジモジしながら寄ってきて「ママやん、でも…わたしコディ君が車にひかれちゃうかも知れないと思う」と言ってきました。何か間違ったことをしたような気がしているらしく、目が泳いでいました。

 瞬間、異常事態が起きている事を知り、あわてて家の外に目を向けたところ、なんとコディがリードもつけない裸んぼの状態で共用駐車場の方をトコトコ歩いているではありませんか(!!!)。娘は、バスルームの戸と玄関の扉を勘違いして、がんばって重い鍵を開けコディを外に出してしまったようです。もう、なりふり構わず二重戸を開けて大声で「コディ君なにしてるの👹(日本語)」と言ったところ、ピュッと戻ってきて、胸をなでおろしました。コディも何かいつもと状況が違うと思っていたらしく、家に入ってからハアハア呼吸を整えていました。

 うちは女児なので、時々年齢以上に大人っぽいものの見方を示すことがあり、「これくらいなら分かるだろう・出来るだろう」と信用しすぎたことがまちがいでした。今回は、何もなかったからよかったものの、これで近所の外ネコが横切っていたらとか、知らない家の子を驚かせて転ばせちゃったら(それで顔や頭を打っちゃったら)とか、このアメリカの訴訟社会における「最悪の展開」の糸口というものは、常に日常生活の至る所に隠れているだけに、手に汗握ってしまった一件でした。



2018年10月15日月曜日

プールじまいの日



 9月上旬の某日のはなしです。近所のプールで「プールじまい」がありました。この日は雷雨警報が出ていて、小雨が降る中あやしい風と雲の動きを見ながら近隣の犬たちがプール遊びを楽しんでいました。衛生法の関係で人と犬が一緒に泳ぐことは出来ないそうですが、普段川でしか泳がせてやれないコディがこうしてプールで遊んでいるのを見て、「庭つきプールつきの家に住まわせてやりたいなあ」と心の底から思いました(笑)。コディが生きているうちになんとか実現したいけれど、このエリアでは難しいかも知れないな~。

 家族に子供が加わったことにより、この先住む家を選ぶ時は、学区を考慮に入れて慎重に選ばないといけなくなりました。北バージニアはかなり教育熱心な風土があり、北米の他の都市と同じくレベルの高い学校、特に高校があるエリアは、高級住宅地に囲まれていたり、韓国系やインド系など高学歴の移民が大勢いて比較的競争が激しい状態になっている傾向があります。自分たち親がどこに住むかで、子供の小学校生活がかわってくると思うと、責任重大なんですね。


だれか手伝ってくれるひとを探しているコディ↑

 娘には、将来すごい職業についてほしい!人の役にたつ立派な仕事をしてほしい!とか、そういう願望も展望も全くなく、重要視しているのは「いい友達に囲まれて、家族なかよく、そこそこ健康的な生活習慣があり、小さな幸せも感じ取れる感受性をそなえた人に育つ」ということだけなので(典型的なミレニアル世代の思考だな)、その前提ならば娘が将来つく仕事がお花屋さんでも、ケーキ屋さんでも、車のエンジニアや木こりでも、親としてはぜんぜん満足なのですが。あ、もしかしたら犬の訓練士になるかもしれないな。でも、娘はイヌよりネコがいいと明言してるからな…………いやいやキャット・ビヘイビアリストにならないとも限らない(本当にいろんな職業がある!笑)。ちなみに、今現在の本人が好きでよく気にしているのは森のきのこなので、今日は「きのこはかせ」という職業があるよと、教えたところです。






 この日はいつもの散歩中に向こうですれ違うだけの近所の犬とも間近に触れ合えました。上の写真の細い犬はとなりのクラスターに住んでる犬で、一度森の中で会ったことがあるんですが、フライボールの選手なんですよ。それ用にブリードされた犬で、ボーダーコリーとウィペットを使った血統だそうです。陸でも水中でもうなぎの様に素早かった。持来欲があって、疲れ知らずで、いろいろさせたら楽しそうだなあ思いました。すごく気の強い犬で、他の犬が少しでもダミーに興味を示すと、怖い顔でガウッ!とやって、牽制していました。




 コディもプカプカいいかんじの動きをみせてくれました。この犬の泳ぎはスピードはないですが、絶対沈まなそうな安定感がうりです。この日はじめて、コングのダミー(アマゾンのページ)をおろしましたが、よかったです。コディは水の上のアイテムを持ってきた後、陸場で何回か強くくわえなおす癖があり、その時に弱いダミーだとつぶれたりナイロンの表皮がとれてきたりしてしまうのですが、コングのダミーは余計な飾り等がなく、中も空洞がないようで、長持ちしそうに思えました。


クズリ顔の犬です

 そういえば小学生の頃は、「海底二万マイル」の船長のペットのアシカが可愛くて水の生き物に憧れ、自分もいつかアシカを飼いたいなあと夢を膨らましていたんですよね。思えば、先代のドーベルマンは見た目的にはかなりアシカに近い犬でした。ドーベルマンて、かわいい性格でベタベタと甘えてくる犬が多いので、飼い主と見つめあってる時はいつも耳が寝ていたりします。そうするともうほぼアシカ100%といっていい顔になるんですが、記憶の中の先代ドベも、いつも耳がなくなってつるっと滑らかな丸顔です。それと比較すると、コディは海感はそんなにないかな。写真を見てて、なんかクズリに似てるなあと思いました。まあいいや、クズリでも(笑)。



2018年8月22日水曜日

最近の「レツゴー三匹」



 日本は大変に暑い夏となっているようですが、ここ北バージニアは今シーズン異常に雨が多くて、7月にはDCのローカスニュース等が、観測史上4番目の降雨量を記録したとを伝えていました。私達、母・子・犬の「バージニアのレツゴー三匹」は元気にやっています。とはいえ、コディは日中の行事などには暑くて参加出来ないので、少し遠出した先などでは来ている犬を撫でるなどして「犬分」を補っていました。

 写真は、バージニア州マナッサスのお寺「えこうじ」の、盆踊り大会で出会ったシバ。さすが日本犬、暑そうだったけどへばらずに動いていました。この祭りは、想像してたのと違って生粋の日本人の姿はあまり見えず、ハワイ系や地域の日系2世・3世おおぼしき人、白人仏教徒が多いような印象を受けました。かと思えば、見た目は完全に「一般アメリカ人」の黒人のお姉さんや、白人のオジサンなどが、急にすごく流暢な日本語で屋台の売り子さんと会話をしていたりと、単なる文化交流みたいなカジュアルで表層的なレベルだけではない、ディープな文化的シンクレティズムの現場を目にしました。


「帽子が落ちないように」と言ったら、律義に帽子をおさえながら遊んでいた。 ちょっと前だったら、すぐ忘れて池に落としていたと思う。
ラウドンカウンティ、Banshee Reeks Nature Preserveにて。ここは、リードにつないだ犬はOK。馬と自転車はNG。


 「ちいさいにんげん」は2歳11か月です。もうすぐ3歳とは信じられませんが、まわりの友達が言うように「乳幼児の世話は、時間が飛ぶようにすぎるから。」というのは、自分の場合はあまり当てはまらなかった気がしました。私は、話が通じない人と一日中過ごす事は、とても大変で一日がとても長く感じました。日常のこまかいことに、「こうしたい」というやり方があり、あまり融通がきかない方なので、ストレスを感じていたのでしょう。自分の世界に閉じこもりがちになる3年間でした。そんな時、嫌でも外に出て体をうごかし、計画をたててセラピーワークのためのドッグトレーニングをすること自体がセラピーというか、心のマッサージになっていたように思います。犬ってすばらしー!

 そんなこんなで育ってきたチビですが今月の頭頃に、急に階段をひとつポンと上がるように「成長した」と感じられる日がありました。おえかきで人間の顔らしきものを描くようになったり、出来事の因果関係を結び付けて考えられるようになったり、それと同時に突然オムツもとれて、軽作業の負担が軽くなりました。

 そう、わが子は一日に5回くらい💩が出る子で(草食動物みたい小出しにしてくる)しかも私はいちいち薄ーい石鹸水とシャワーで洗ってあげていたので、オムツかえだけでもすごく負担だったのですが、これにより突然心に余裕ができました。おまるもすっ飛ばして、トイレに抱っこしてのせて欲しいと言います。同時に羞恥心も芽生えたのか、💩の時は「目をつむってアッチの方をむいてて欲しい」とリクエストしてくるようになった(笑)。人間とは親がなにも教えなくても、「はずかしい」という気持ちを勝手にどこかから学ぶんだ!!と驚きました。幼児の世話とは、このように苦行9割、鮮烈な発見1割みたいな感じでやってくるから、皆続けられるのかなあと思いました。




 娘に対して「成長したな」と思う一方、「年をとったな」とふと思った瞬間があったのが犬です。3歳7か月、一般的に言えば、若さの盛りかと思いますが、なんていうのか、命の時計がカチッとひと針「老化・死」の方へ向かって傾いた感じがしました。ときどき何となくそういうのがわかる時がありますよね。娘も犬も同じ年に生まれたのに、人間と比較するとなんとあっという間に死を迎える生き物なのかと思うと、つらいです。日々、いかにおりこうかを話してきかせ、褒めちぎり、撫でさすっています。長く元気でいてほしいです。

 でも、単なる「長生き」だったら、望んでいません。もしいつかコディが不治の病になってしまって、楽しい日常生活に支障を来たすようになれば、迷わずに安楽死の道を選ぶでしょう。犬に苦しい思いは一切させたくないという強い意思があり、人類に飼われる動物だということの最大の利点のひとつである、「病や死の苦痛を感じずに済む」ということを、十分に享受してほしいと考えます。それに家族みんなの中で、リラックスして安心した気持ちで旅立ってほしい。

 デイケアは入り口でUターンし、どこへでも一生懸命付いて来ようとがんばる犬です。病院のケンネルの中で孤独に病気と闘うことが、この犬にとって良いことだとは思えません。「極端だけど理にかなっている」と思うのは、ボール投げしてる最中とか、「カム」と言ってこっちに向かっている最中、コディが一番楽しそうにしている時に死ねるように出来たらいいですが、そうすることは私にとっては難しすぎる事なので、もっと考える時間が必要でしょう。一つ言えるのは、人の場合も、犬の場合も「終活」に答えはないが、時々こうして考えること自体には意味があるように思うということです。

 話が脱線してしまった。そうそう、最近の犬は行動面でも変化があって、遅ればせながらテリトリー意識?が芽生えたようです。コディは散歩の初めに一回、中盤に一回、足も上げずにまとめてジャーとおしっこをする犬で、マーキングらしい事は殆どしないのですが、この「家から出て最初のおしっこをする地点までの区画」が彼の中で「見張らなければいけない場所」に決まったようです。このエリア内で近所の犬とすれ違う時にウーッと唸るようになりました。また、この区画外でも、遠くで知らない犬が睨んでいたり、吠えていたりすると尻尾を持ち上げて襟首の毛を立て、大きいアピールをするようになりました。吠えることもあります。吠えは、今のところは「やめい」と言うとやめますが、吠えだすと夢中になることもあると思うので、対策を練っています。


2018年7月16日月曜日

「イージー」



 週に何回か、短い時間ですがシッターの方をお願いすることにしました。夕方のまだ明るい時間帯に、犬と一緒に外へ行くことができるようになった。といっても7月のバージニアは暑く、かなり湿度もあるので、行先は屋内です。今週は地域の家電量販店「BEST BUY」と、ホームセンター「HOME DEPOT」「LOWE'S」に行きました。ホームデポとロウズに犬を連れて入れる事は、セラピーのクラスで使ったので知っていましたが、ベストバイに入れる事は知らなかったので、発見でした。涼しくて清潔であまり混みあってもおらず快適でした。

 ホームセンターに行くと、コディは人気者です。どうも、トラックに乗ってこういう所に来てるようなタイプのおじさんにモテる方らしい。今日は、殆ど英語が喋れないメキシコ人のおじさんが話しかけてくれました。身振り手振りと片言で、メキシコの実家でジャーマンシェパード2匹飼ってる!ホントにかしこいしよく見るとすごくかわいい!!と話てくれ、シェパードいいよね!!!とキャアキャアと(野太い声で)意気投合しました。


ヒタチのキャンペーンボーイかな? かわいいです(親ばか)

 ペンキのコーナーにいたアメリカ人のおじさんは、長年ロットワイラーを飼っている人だそうで、トレーニングの話になりました。何かの拍子に「うちの犬は色々するのが好きな方で、私はラッキーです。」と言ったところ、「いや、本当にラッキーなのはこの犬だよ。」と言われ、これまでいつも『こんな犬がいてあなたはラッキーね。』と言われる一方だった私は、不意に自分の今までの努力だとか、犬に対する態度みたいなものを認められ、褒められたような気になり、すごくすごく嬉しくなってしまいました(犬飼いはほかの犬飼いを称賛するのがうまい)。

 犬と一緒に外にいると、「犬を連れている」というたったそれだけのことで、他者と関わることがこんなにも「イージー」になることに毎度驚嘆します。しかも、犬を介して犬好きの人々と話していていつも思うのが、それぞれの人々が、皆それぞれのやりかたで犬に詳しい。こういう事は他の生き物には見られないことで、人間にとって犬と言うのは、こんなにも興味と知的好奇心を引き出す存在なのかと毎回、新鮮な驚きがあります。


2018年4月30日月曜日

省エネ花見


 愛犬「コディ」3歳3ヶ月、娘「ちいさいにんげん」2歳6ヶ月の春です。いたずら盛りの人間の子供と脳みそパピーちゃん(体重59キロ)と共に花見をするのをおっくうがっているうちに、あっという間に桜は散り八重桜のシーズンになってしまいました。仕方ないから、また近所の植木屋Merryfield Garden Centerでお茶を濁してます。

 一度しかないコディの犬生を預かっているんだから、暑くなる前にもっと色々な経験をさせてやらねばと思うのですが、なかなかうまくはいきません。でも、ここでストレスを溜めてはダメなんだと、過去2年間のダブル育児を通して学びました。できないことがあって当たり前だと、出来てることにフォーカスすべきだと、「出来てない事は、できてない」と、そんな自分の姿をリアルに見つめてしまうところがある自分にとってはなかなか難しいですが、日々勉強です。
 

 植木屋さんでは、春の草花の入荷が最盛期になっています。猫の手ならぬ見知らぬ東洋人の手も借りたいぐらい忙しいのでしょうか。働かない?と声をかけられました。この植木屋さんといえば、先日話していたセラピードッグ・インターナショナル(TDI)のテストが、正式に来週末になることが決まりました。

鶏糞たべていい?

 相変わらず写真写りがパッとしないコディ君。TDIのテストがんばってくれよ。植木屋での自主練が功を奏すか?!どう考えても練習量が不足してるんで、当たるも八卦当たらぬも八卦みたいな気持ちですね(言葉の用法が違う)。

 テストに出るためにはシャンプーをしたり爪切りをして、きちんとして出かけないとなりません。一度洗うと完全に乾くまでとても時間がかかるので、先週末にシャンプーを済ませましたが、活発なので既にドロドロです。ショーに出したりするわけではないから、おまたの内側の毛はいつもカットしてしまうのですが、今回は胸が一番深く落ち込む部分から鼠径部にかけても、びみょう~に毛先をそろえてみました。飼い主の自己満で誰も気づかない微妙なことだと思いましたが、既に散歩道で二回ほどスタイルを褒めてもらえて、こんな毛先のちょっとした変化が意外と犬の全身の見た目に影響を及ぼすことに驚きました。


 今日のトリは、バージニア州グレート・フォールズの周辺を散策中に出会った、ブルガリアンシェパードです。私の散策するエリアはスラブ系、東欧系移民の二世が多いみたいで、自国から引っ越してきた彼らの親世代が、犬もついでに連れてくるようです。今までにも、ルーマニアンシェパードや、それから遠目にカルパチアンシェパードかなと思われる犬を見た事があります。比較的賑やかなアメリカの郊外の住環境だと飼いにくい犬種だと思われますが、体格が大きく堂々として、山や牧場で一緒に住んでいたらこんなに頼もしい仲間はいないと思わされます。写真の犬も、このあたりから先に進むと立ち上がって吠えるだろうと思われたので、オーナーの方の了承を得て、離れたところから写真を撮りました。

2018年3月31日土曜日

一歩進んで 一歩下がる




 前回の記事に書いたセラピードッグ(TDI)の試験ですが、当日突然の悪天候により中止となってしまいました。運よく受けられるテストが見つかって喜んだのもつかの間、また新たな試験の機会を窺うことになりました。

 上の写真は、テストにむけてここしばらく自主練していたお店での1枚。この場所はMerrifield Garden Centerと言い、北バージニアエリアに数店舗を構える居心地のいい植木屋さんです。店員さんも優しく、無料で大人にはコーヒー、子供にはポップコーン、犬には水がもらえます。チビは2歳6カ月。いろいろ難しい時期ですが、『ぽここん』がもらえるよと言うと喜んでついてきたので、連れ出しやすかった。一瞬目を離したすきに商品の花をつんでしまったりする子供に注意を傾けながら犬に指示を飛ばすのは非常に難しかったですが、なにもしないよりはきっとマシと考え、習慣的に通いました。


2016年4月19日火曜日

IPO競技会へ



  数日前から棒状の物を口に咥えさせる練習をはじめました。まだずっと咥え続けていることはできないですが、カメラのキャップを外して写真を撮るくらいの時間は待てるようになりました。咥える=座るという行動がリンクしないように次からはショートリーシュをつけて練習するのを覚えておかないと。

 コディは硬化プラスチックとか、金属のパイプとか、変な質感の物が歯に当たるのが大嫌いです。一方で、ちゃんと気を付けてホールドしてないと物を落っことしてしまうので、こういうのは集中力を鍛えるいい練習になりそう。最初は件のダンベルで練習を始めたのですがうまく行かなかったので、使い古したナイラボーンをホールドさせるところから始めました。写真ではミント味の骨がむを咥えています。木で出来たダンベルがあればもっとやりやすいかも。

2016年3月29日火曜日

ペットエキスポへ



 三月ももうおしまい、ここ北バージニアでも日差しがどんどんと春めいて、満開になった桜のすきまから、あっという間に若い葉っぱがのぞくようになりました。ここまでくるとあとは一気に暑くなっていきそうな予感。日照時間ものびて、最寄りのドッグパークではイブニング・タイムの人波が復活しました。人々も犬もみな暗い冬のあとの再会の喜びを分かち合っているようでした。

 家でも、アフターファイブに家の人が犬の散歩をやってくれる日が出てきました。ふだん一人で全ての犬の世話をしているし、散歩中のルールが変わるのがいやでなかなか散歩を人にかわってもらおうと思えない性分ですが、一日一回でも誰かが散歩を手伝ってくれるとこんなにも体が楽なのか!と目の覚める思いでした。やはり大型犬は家庭で分担して世話するものですね(あたりまえ?)。

2016年3月9日水曜日

週末のログ



 週末いった所・やった事の記録。

 土曜日はバージニアとワシントンDCのちょうど間あたりに位置するおハイソな街、クラレンドンで「クラぶら」してきました。と言っても真にぶらぶらするほどの広さはなく、「小さな小奇麗なエリア」という感じの場所です。雰囲気は大変良いのに案外やることは少ないという点で、東京の白金に似ているような気もします。そんな場所で子・犬つきでぞろぞろしていると出来ることがさらにかなり限られ、この生活があと数年続くと思うと正直気が滅入りました。

 これまたおハイソなアウトドアブランドORVISのドアに「Dogs Welcom」の文字を見つけたので入ってみると、綺麗過ぎて、恐れ多く、とても使えないような釣り竿やルアーが所狭しと並べられていました。見るだけでもとても楽しかったです。フライの針に使う素材になるシカの尾やリスの尾もあり、これで友達の飼ってる柴犬用のルアー作ったらどうなるかなあ等と妄想しました。フィールド用の犬の首輪をプリントしてくれるブースや、犬雑貨もいろいろあり、楽しめました。コディもビスケットをもらえました。



ドイツから来たGシェパのフィギュリン発見!あんまり腰がおちてないような

 お次はまたぞろおハイソなベビー・子供グッズのKinder Haus Toysへ。ドイツ製のおもちゃ類を中心に、ヨーロッパの輸入子供雑貨が売られていました。私見ですがこの辺に住む若い親世代の間では、原色バリバリで目の中に星が飛び散っているアメリカ製のお人形よりも、より素朴でリアリスティックなディティールにこだわった(または美しくシンプリファイされた)西欧のおもちゃや洋服の方が人気があるようです。

 ところでワシントンD.C.は北米でも人種のダイバーシティが最も多様な街のひとつですが、ここでいろんな言語教育のためのつみきが売られているのを見つけました。もちろん日本語のも。このアメリカという地に生れ、アメリカ人として、そして日系ニ世、ロシア系ニ世として育っていく娘の人生がどんなものになるのか、思いを馳せました(そして自分の想像力では全く思いもつかないことにも気が付いた)。いつか遠い未来のある日、自分も、コディもいない世界を生きている彼女の事を考えるとちょっと不思議な気分になります。




 日曜日は自分・子・犬の三匹で、フライングパン牧場公園へ行きました。牧場の、特にウシのフンに含まれるバクテリアの死骸は赤ん坊の免疫機能を強化するそうなので、良い散歩場所だと思いました。ただ犬にとってはすごい刺激のある匂いでいっぱいなので、あっちゃこっちゃしてしまうコディをうまくハンドルするのが大変でした。

 ヒツジの柵まで行ってみるとオスの羊がこちらへ向かってやってきました。すごく大きい羊でしたがとても人懐っこく、犬にも全く物怖じせず、感心しました。




{{{ヒツジさん逃げて!!!}}}


そんな「獣っぽい系」のお肉の香りに目のないコディ。
この週末はふつうのご飯にテイスト・オブ・ワイルドのシカ味をトッピングしましたが、あまり反応していませんでした。
何がだめだったのだろうか。




2016年2月19日金曜日

バージニア州 タマラック・パーク



 またまたお散歩ログです。向かったのはバージニア州タマラック・パーク。この日は気温はそこまで低くなかった(マイナス7度くらい)ものの、風速が20マイル以上あり、子供は家に置いてでかけました。家のヒトに感謝。

 ふだん週末は「犬の放牧」はしませんが、こういうピクニック日和とは程遠い日は例外です。ねらい目はお屋敷や高級住宅街のなかにぽつんとある緑地帯です。みんな、自分のところで何エーカーもある庭を持っているので、こんな日にわざわざ公園まで出かける人はいない(※一部例外あり。後述します)。


2016年2月9日火曜日

村いぬ考



    まわりのアメリカ人達がよく使うフレーズに"It takes a village to raise a child"というものがある。子育ての大変さを表す日常表現でもともとはアフリカの諺だったらしい。

    先進諸国でも半世紀ほど前までは、 ヒトの子育てはコミュニティ全体のアクティビティだった。子供は村全体で色んな人が入れ代わり立ち代わり世話をして、さらに時間をかけてようやく一人前の「ムラビト」になっていく。

 いつか日本の新聞で読んだけれど、ひとりの子供を不自由なく育てるのには、最低成人4人分の手が必要だという。自分で小さい子を持ってみても、確かにそう思う。まわりの大人達がかわるがわる世話を負担しあえる環境にあれば、両親達は子供を持ちながらも一人の人としての生産性を失わずにすむし、小さいうちから様々な社会体験を積み重ねていくことは、子供達の心身の発達にも重要な意味を持つ。

コディと散歩中こんな事をとりとめなく考えていて、これって犬にも言えることかも?と思っていた。




 村全体で入れ代わり立ち代わり世話をして、時間をかけてようやく一人前になっていく。自分の記憶をたどれば、日本の田舎でも3、40年位前までは、ヒモに繋がれていない犬がけっこう当たり前にフラフラしていて、人の家の庭でせんべいやミルクにひたしたビスケットなどをもらい日向ぼっこしていたり、表で遊ぶよその子供達のお守を勝手にしていたりする、そんな光景があった。

 両親が好き勝手に恋をした結果生まれてきた子犬たちは、「犬は社会的な生きもの!子犬の社会化!!」と力まなくても、生身の人と動物が行き交う社会の中で、沢山の経験を積みながら育っていくことが出来た。今、自分達のいるモダンな「社会」は、そういった昔ながらの社会からはだいぶ進化?というか、異質なものになってきている気がする。

 もちろんそういう生身と生身の「リアルな社会」には暴力的な側面もあって、闘争なんかは日常茶飯事であり、「リアルな社会化」の過程でケガをしたり病気になったり、最悪死んだりする子供や犬も多くいたわけだから、手放しで昔・礼賛をしたいとは思わない。ただ、子育ても犬育ても、わたしたちの歴史過去何万年もの間、そういうものだったという点はよく覚えておかなくてはいけないと思う。


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 先進国の社会では、小さな子供が悪さをすれば、それはほとんど100%親のせいになる。しつけの悪い犬がいれば、それは100%飼い主のせいである。けれどそれは本当にフェアなんだろうか?

 今の親たちは、飼い主達は、愛情に満ち溢れたよい母親、よい父親であるだけでなく、本来村一つ分かけて用意するほどの環境を一人でとってかわれるほどの、優秀な教育者であることを求められる。どんどん長命になる年長の家族の為に、「良き娘」「良き息子」でもい続けなくてはいけない、そうするためには心身共に非常にタフでなければいけない。さらに仕事をすれば一個人としての生産性をも厳しく追及される。それらは本当に可能なことなのだろうか?

 週末のドッグランのベンチで、ノーメイク、または無精ヒゲを生やして、疲れた顔で携帯電話に顔を落としている人々がいる。以前なら「犬の監督をしないで、無責任だな」と思ってみていたが、最近だんだんそう思わなくなった。もちろん迷惑なことに変わりはないし、ほんとに無責任な人も中には含まれるかも知れないけれど、ハードワークの文化があるここ北バージニアにおいて、家庭でも職場でもタスク・タスクで、週末太陽の下で45分間だけの「マイタイム」をぼーっと過ごしたい人々もいるのだと、今は分かる。そんな貴重な時間をわざわざ愛犬のためにドッグパークで過ごそうと考えた時点でむしろ、とてもえらい人達なのではないかとも思うようになった。






 なんてな事を考えながらバージニア州フレッド・クラブツリーパークをコディと歩いていました。せっかくうちに来たからには、コディにも立派な「村いぬ」になってほしいけれど・・・、そのためにはどうしたら良いのか?自分に何が出来るのか?生後1歳1か月を迎えて、考えています。