2014年11月4日火曜日

VICTORIA



 たまにバイトしている近所のペット用品店にて。

 普段とても利口な犬でも、ふとした瞬間に知られざる素顔をのぞかせる所を見ると、犬にもちゃんと「ふだんの顔」と「よそ行きの顔」とがあるらしいことに気が付く。写真のビクトリアもそうだった。とても素直で優しくて聞き分けの良いこの犬は、実はスパが大の苦手なのだった。どうやら自分がスパに入れられると分かった瞬間、階段のところにスポッとはまって、鼻フンフン、目ショボショボ、今にも泣きだしそうな顔になっていた。




 目をギュっとつむっていた・・・。必死の考えも空しくこの後、シャワーでじゃばじゃばと丸洗いされていた。がんばれ、ビクトリア。




2014年10月31日金曜日

YOU ARE MY CHOPSTICKS



 ヨーロッパ人やアメリカ人の台所を見ていて、どうしても、どうしても、分からない点がある。それは、「箸」という道具を一切使わずに、みんなどうやって炊事全般をこなすのか?という点だ。自分が日本人だからかもわからないが、台所における一膳の箸ほど、大胆にして繊細な調理活動を行え、なおかつ軽くて手になじみの良いキッチンツールを他に知らないのだ。しかも箸は調理器具と、食器をも兼ねている。これだけ便利な道具がほかにあるだろうか?

 良い牧羊犬とは羊飼い達にとって、箸のような存在かもしれない。写真は以前牧羊犬のナショナルチャンピオン戦を見に行った時のものなのだが、プロのトレーナーと、プロの牧羊犬のアイコンタクトの強烈さといったら、よーく眼をこらすと彼らの瞳と瞳を繋ぐ、二本のビームが見えてきそうな程だった。彼らは、彼らの間にほとんど半物質として存在しているらしき二本の「視線」を、あたかも箸のように駆使して羊をかき集めているように見えた。たまに集団から離れて飛び出した一粒の米粒(羊)も、お箸犬たちは見逃さない。

 箸という道具の特別さのひとつは、繊細な指先の機能が延長されたことにある。同様に、「良い牧羊犬を持っている」という事は、羊飼い自身の、その繊細な指先が10メートル、20メートル、時には何百メートル先までも伸びていって、自由自在に作業が行えるということと近いのかもしれない。