2015年8月29日土曜日

ウルフドッグを飼うこと



 写真は、私が数年前日本の友人の持つケンネルの一角に住み着いて制作をしていた時に、そこで飼育されていたオオカミ犬と撮ったものです。ジャーマンシェパードとオオカミをベースにしたハイブリッドで、大きな体格に反して性質はとても奥手で用心深く、見知らぬ人からはスキあらば逃げ出そうとする極めて「オオカミ犬らしい」個体でした。

 今なにげなく「オオカミ犬らしい」と書きながら思いだしたのは、この写真を撮った時、しかし、オオカミ犬というのはオオカミとイヌから生れ出でたにも関わらず、オオカミともイヌとも異質な存在なように感じたことです。野生のいきものであり(例え飼育下にあっても)私達人間との関わりをミニマムにしようと努力するオオカミ達と、人間と共に生きる事を好み、イヌ族の世界にあって重大なボディサインである「リーダーとのアイコンタクト」をも積極的に行い、それによって脳から幸せホルモンさえ分泌してしまうイヌの間には、姿形はよく似て居ても、なにか隔絶とした境界線が存在するような気がします。

 「オオカミ犬」というのは、野生の動物と、一万年以上の時をかけて人類との共同生活に特化・順応したイヌと言うピース(作品)を、興味本位に混ぜ合わせる行為のつまるところです。研ぎ澄まされた野生と人への強い親和性をミックスしようとすることは、「きれいな色になりそうだから」と水彩絵の具とアクリル絵の具を混ぜることに近いかもしれません。時には奇跡的に調和のとれた個体が生れることもあるし、ひとつの個体の中にイヌとオオカミの性質が偏在する、不可思議な動物が出来上がることもあります。

 自分が今まで見たオオカミ犬達は(そんなに数は多くないけれど)オオカミの血のパーセンテージに関わらず、兄弟同士でもない限り一頭一頭姿や性格もまちまちで、その気質を理解するのには、たくさんの時間と経験が必要なように思えました。ひとつきほど前に北海道で、本来の飼い主の留守中飼われていたオオカミ犬の世話をしていた女性が命を落とされるという大変痛ましい事件が報道されたのが記憶に新しいと思いますが、長年のオオカミ犬ブリーダーで世間のいう所の「有識者」だった被害者の方の知識をもってしても、群れとなった時の彼らのダイナミズムを予測することは困難だったのではないか、という感想をもちました。




 今日のブログはオオカミ犬の存在に対する倫理とか、それを飼育することの是非についてとやかく言おうという目的で書いているのではないんです。オオカミ犬はきれいだし、かっこいいし、存在としておもしろいし、それに「オオカミ(みたいな犬)を意のままにしたい」という欲望自体は、過去数万年にわたって「自然」「野生」を支配下に置こうと苦闘してきた人類としては、しごく当たり前なものと言えます。

 ただ例のニュースをきっかけに、自分なりに興味を持って、オオカミ犬を飼育している人の手記やブログ等を読んでみたところ、僭越ながらオオカミ犬を「適切な飼い方をしているなあ」「犬と人が素晴らしい関係を築いているなあ」「この犬は幸せそうだなあ」と思えた飼育者というのが世間にほんの一握り、いや、一つまみにも満たないのだという現状を知りました。

 見る写真、見る写真、フェンスで囲まれたコンクリートや、地面むき出しの所にしいた薄汚れたベニヤ板の上で、ひとり孤独に寝そべっている犬達がいる一方で、「社会化」されて様々な場所を連れまわされ、まるでファッションアイテムのような扱いを受けながら日々を生きているような個体も多く(トレーニング上しなければならないのだとは分かりますが、)私個人の感覚からするとやや気の毒に感じました。もちろん、中には性格的にそういう生活を享受出来る個体も居ると思います。しかし、そんな生き生きとした表情をしたオオカミ犬はごく少数派のように感じられました。

 僅かながらオオカミ犬と触れ合ったことのある者としては、彼らの多くに共通する気質を考えたら、どこかのどかな緑のある広々とした敷地で、とりたてて家族以外と親しくしたり芸をすることを強いられることなく、家を守り、家族だけを愛しながら、静かに生きていくのが、自然な彼らのしあわせなのではないかと思います。飼う人間の方も本気でオオカミ犬が好きで家族にしたいのならば、「家のあまったスペースに運動場と犬舎を作って」とかいうことでお茶を濁さず、田舎の方へ行って広い土地を買い、敷地を囲い、自分の生活の全てを彼らと共に楽しむ、くらいの気持ちで臨むべきではないでしょうか。

 犬とオオカミは似て非なる動物です。けれども、「自分の家族に対する深い愛情と献身」は変わりません。オオカミ犬を飼う時、自分の飼っているいきものが全身全霊をかけて寄り添ってくるのを、飼育者は100%受けて立つべきであり、またそうすることが出来る環境を準備する事も、単なるヒトの好奇心が生んだ副産物たちへの「責任を全うする」ということの一環ではないのかな、と今日は考えていました。


2015年8月19日水曜日

セラピー犬のクラス



 今朝、ちょっとした奇跡が起こった。家の犬「コディ」が初めて朝のドッグランで転げまわらず水遊びもせず、泥遊びもせず誰かのウンチも踏まず、フサフサなままで公園を後に出来たのだ。ランに集っていた人々にも「コディ、きれいすぎて誰だか分からなかったわ。」と言われたこのイヌをつれて、ついに念願だったドッグランの後商店街に寄り、スタバのコーヒーとデリで朝食を買って帰るという夢の様な時間(笑)を過ごす事が出来た。コディはいつも、ランを去る頃には、砂や泥で揚げる前のフライドチキンみたいになるから連れて歩くのが恥ずかしく、商店街なんて夢のまた夢だったのに・・・。しかし、たったこれだけの事がこんなにも充実感をくれるとは。しあわせとはかくも相対的なものなのか。


あまりの嬉しさに 意味なく記念撮影(むしったお花とともに)。
花はとる、棒状のものは何でも咥えてふりまわす。なぜって?シェパードだから!

フワ~

お花は、食べました。 エへッ。



犬を歩行器の真横に「縦列駐車」させる練習。なかなか上手に出来ない。


 話題その2です。先日、優良家庭犬(CGC)のトレーニングを終えたコディは、そこで教えてくれていたトレーナーの勧めでセラピードッグ・プレップというトレーニングのクラスに編入している。これは将来犬がセラピーワークに従事するための準備をする科目で、この練習を終えると、特定の協会が実施するセラピー犬の選別試験を受ける準備が整い、テストにパスすれば改めて目的別にあった内容のテクニックを学ばせていく、というおおまかな流れになっているとか。

 今までのコディのようすをみていると、自分としてはセラピーというよりかは暫くオビディエンスの練習をさせつつ、機会があれば何らかの補助作業やサーチ&レスキューの方向へ進ませたいな~と、最近うすぼんやりと考えていた。

 しかしこの考えをドッグトレーナーの知人にしたところ、北米における補助犬は特定の個人が自分のニーズに合った犬を育てる(or トレーナーに頼んで育成してもらう)のが一般的だということ、また災害救助やサーチ&レスキューは、まずは犬自身の適性もさることながら、コンスタントな訓練に非常にたくさんの時間を必要とする上、犬の専門性によっては電話一本で遠くの州に出かけなければならない事もあり、普段からかなり時間に余裕&スケジュールに柔軟性のある人でないと難しいとのことだった。小さい子供をかかえながらだと、実質不可能と思われた。

 セラピーワークは本来心身ともに成熟した犬が行うべきものだから、コディのような子犬には時期的にちょっと早すぎる感もある。一方で、練習内容そのものは基礎的なオビディエンスの延長線上のようなものが多く、時間をみつけて少しづつ練習し達成するのもいいのではないかというのが、その知人の話すところだった。それを聞くと残り3週間で正産期に入る身としては、セラピーは比較的とりつきやすい課題のように思えてきたのでした。


PCI ラム・クランチ(左の赤い袋)はアメリカ産・新鮮・肉厚なヒツジの肺を乾かしたおやつで、いちばん良かった。


 ともかくも、もうすぐ人間の新生児を育てるという一大事もあり、気がかりな事は多々あるけれど、最も気がかりなのが子が生まれた後の1・2週間のあいだ、犬を預けなければならない事である。今まで練習も兼ねてデイケアには何度も入れていたけれど、ボーディング(お泊り)となると勝手が違って、上手く頑張ってくれるかとても気になる。とりあえず、いつ来るか分からないお泊りの日の為に、「コディ君バッグ」の準備にとりかかった。ドライフードはとりあえず2袋、サプリメント類と、ふだん使っているタオルを沢山用意した(その他の必需品についてはASPCAのペットの避難用マニュアルが、盲点をつぶすのにところどころで役に立ちました)。

 支度の途中でコディが預け先で寂しく泣いている様子を想像し、かわいそうになって、おやつを買いすぎてしまった。実際は芝生の青々とした山すその農家の一角で他の犬達と一緒にワイワイ出来る寄宿舎を予定しているので、そんな展開にはならないと信じている。いや、こればかりは相性もあるので実際に行ってみないと分からないかな。気になるから、やはり事前に一度自分で見に行かなくては。こういう事も含めて、やることが山積しています。




2015年8月9日日曜日

二度目の恐怖期?

外でたくさん運動して、シャワーも浴びて餌も食べ、これから午後まで昼寝。平和な時間。

 家の犬「コディ」は生後七か月目を迎え、時々ふと大人っぽい表情をのぞかせるようになった気がします。好奇心いっぱいの眼差しで、自分の後をどこでもついて回り(時に風呂やトイレの中まで)、いつもこちらの様子を伺っているのを見ると可愛らしく、「いつまでもパピーちゃんでいてくれたらいいのになあ」と思う反面、本当に活発で日々三度の散歩にドロドロになるまで転げまわって遊び、絶え間のない躾の努力、ひっきりなしの掃除と洗濯、ドッグランやデイケアへ連れて行けばその「おみやげ」に、やれ鼻づまりだ、下痢だと気をもむことも多く、「はやく大きくなって落ち着いてくれ」と思う時もあります。成長とともに、その時々で良い事と悪い事があるんですね。人間とおんなじか。禍福は糾える縄の如しってやつなのだろうか(ちょっと違う?)。




 そういえば、AKCから封書が届きました。前回のブログに書いた、優良家庭犬(CGC)の認定証でした。バンダナやタグなども、申請すれば名前入りで作ってもらえるようです。愛犬家を相手においしいビジネスだなあ、と思いながらも、ついつい無意識にパンフレットを手に取り、「このタグかっこいいな」「ワッペンも欲しいな」とか、考えてしまっている自分がいる。




 話題その2。人影疎らな月曜日の昼過ぎ、バージニア州の北端にあるセネカ広域公園で軽くトレッキングをしてきました。この公園は有名なグレートフォールズ国立公園と地理的に非常に近いにも関わらず、ほとんど地元民しか訪れることのない公園で、その広々したサイズや、丘陵と水場の連なる地形、ほどよい人けのなさも手伝って、犬飼いにとっては北バージニアの隠れた名所と言えるんではないかと思っている場所です。


不審な物音がないか聞き耳をたてる。

コディはここで久しぶりに「オフリードで知らない人とすれ違う」という状況になったのですが、ほんの数週間前ならシッポ高速回転しながら喜び勇んで飛びつきに行っていただろう所を、今回はまったく無視する様子を見せました。コディの、外界や知らない人に対する警戒心が増していると確信した出来事でした。というのもこの丁度数日前にも、コディはたまたま足を運んだ街の広場で遠くに見えた犬に対して、警戒して吠えていたのです。また別の日には日暮れのドッグランの暗がりで遊んでいる(手を広げてバタバタしている)子供に向かって吠えた事もあり、今まで見せた事のないそのような行動に、もしかして新たな「恐怖期」に入ったのかな、と思っていたためです。


ポトマック川の支流で遊ぶコディ。ちょうど州境に位置するこの公園、
自分の立っている陸場(手前)までがバージニアで、この水場から南はメリーランド州になる。

イヌの「恐怖期」といえば子犬時代、一般的に生後8週から10週なかば頃の間に訪れるものがよく知られていますが、最近では個体が完全に成熟するまでに少なくとも3回の恐怖期があるという説が、自分の周囲のトレーナーやベテランオーナー達の間で支持されています。その厳密な時期については人によって意見が異なるものの、6ヶ月から14か月のあいだに2回目が、12から16ヶ月の間のどこかで3回目の恐怖期が来るというのが、聞いていて大多数の意見だと感じます。

 肝心な対処法といえばこれまた十人十色で、コレといった決定的な乗り切り方というのが無いのが悩ましいんですが、ひとつだけ共通しているアドバイスとして、「恐怖・拒絶反応を起こしている犬をなだめない」というものがありました。怖がったり訝しんでいる自分の犬に声をかけて安心させてやろうとすること(小型犬なら胸に抱き上げて撫でてやったり)は、自分達人間からすればとても自然な行動ですが、イヌにとってみれば外界に対する警戒心や、敵愾心を飼い主によって強力に後押しされたことになり、これがあとでいわゆる「問題行動」となって帰ってくることが多いためです。


ある日の「修行場」での光景。体重は40キロを超え、いつの間にか力もちになって、
こんなに大きな枝も運べるようになった

 コディの場合、警戒心から注意が逸れそうになったらすぐにオモチャか木の枝を見せて、「遊び」の方向にもっていって忘れさせる、という方法を試しています。このやり方が正しいのかは分からないけれど、何回か「トッテコイ」をさせ終わる頃には勝手に「警戒モード」が解除されていることが多いので、暫く続けてみようと思っています。ただ、この作戦は街中では使えないのと、そういう時オモチャのかわりとなる「警戒心を忘れさせるほど価値のあるオヤツ(=ジューシーなチキンなど)」というのを常に持ち歩くのは難しいのが、非常に悩ましい点です。


幼馴染のデビちゃん、ラブラドールのライリーと。

話題その3。相変わらず、毎朝のドッグラン通いも続いています。ドッグランという場所には、頻繁に通っているとそこにいる人々の間に独特の連帯感というか、コミュニティが形成していると感じる瞬間があります。皆愛犬を連れていると、自然と私的で、おたがい一段親密になったような感覚に陥るのかも知れません。だから話題も犬のしつけや餌の話から、どの乳酸菌がいいとかいうフランクなおしゃべりに始まり、「今の仕事をやめるべきか」とか、失恋の話、パートナーが癌になった事、など気付けば非常にパーソナルな会話になっていることがあります。コディの幼馴染、オーストラリアンシェパードのデビちゃんの飼い主も、今朝は持ってきたお茶をすすりながら、生粋の南ベトナム人である彼の父が、ベトナム戦争で砲弾の飛び交う中をべトコンと戦い、最後は小さな釣り船に乗って、命からがらアメリカへ亡命した話をしてくれました。アメリカという国は、一見マッチョで単調な国に見えますが、そこに住む人々の歴史も含めた驚くべき多様性には、ほとんど毎日ハッとさせられます。


ブラック・アンド・タンクラブ、別名「ばっちい子犬の会」
ロットワイラーミックスのサーシャ、ボースロンのブレイクビー。気が合う3匹。

活発なコリーの女の子、ビアトリクスはコディの事が好き。
「デビちゃんには言わないでね!」

ランによく来る、ダウン症の子がボールを投げてくれるのをじーっと待っているコディ。
「ボールを追いかけるコディ」を追いかけたくて、これまた辛抱強く待つブラックシェパードのガンナー。

帰宅後。





2015年7月30日木曜日

長すぎた3分間-CGC試験



 家の犬「コディ」の優良家庭犬(AKC/CGC)の試験が終わった。結果はなんと合格。前回のノートで話題にしていた「分離(セパレーション)」項目のテストは一番最後で、コディのリードを試験管に託し、会場のドアを閉めてからの3分間が異様に長く感じられて居てもたってもいられなくなり、となりにあったピザハットの配達員の人々としゃべって気を紛らわせた。CGCのテスト自体の難易度はそれほど高くはないものの、生後6か月半でパス出来た事、また初めて飼うシェパードで、街中や自宅の裏で、ツワリやヤブ蚊の群れと戦いながらちまちま練習をしていた自分にとっては、とてもうれしい結果となった。

 このことをランで知り合った介助犬トレーナーに報告すると彼女は「タイトルはなんであれ、犬は、テストに受かってからが本番よ!」と、含蓄のある言葉をくれた。たしかに生身の動物が相手だから「能力をみにつけさせる」のと同じくらい、「それを維持&向上させる」ことが大事なのだろう(それもあってかCGCのガイドライン等に目を通すと、合格時子犬だった犬は成犬になってからもう一度テストを受けなおすことが強く勧められている)。今ある服従訓練のレベルは今後も保っていけるよう、がんばりたいところだ。トレーニングが行われる(ある種、限定的な環境な)室内やテスト会場と違って、本当に様々な誘惑のある実社会では、いつも当然出来ているような事が全く出来なくなることもあるし、犬の注意力をこちらに引きつけておくのだけでも難しい事もある。コディが「真の優良家庭犬」となるためには、ヤブ蚊とのバトルも当分続行することになりそうだ。

 折しも、この日目を通していたタウン誌のペットコーナーに「CGC・トレーニングのススメ」のような記事がのっていた。それによるとこのタイトルは、北米ではアパートやコンドミニアムを借りる時に考慮されることがあるほか、飼い主の責任あるオーナーシップの証として法廷でも認知されるそうだ。


とれたて新鮮 バージニアのおいし~いミミズ

話題その2。CGC試験の翌日は、7月中旬の北バージニアにあるまじきカラリとして涼しく爽やかな夏日だったので、前庭の草木の剪定と、モルチ(地面をカバーするデコレーション用の木屑)をつぎ足しならしていたところ、それらの下がミミズの楽園になっている事を発見した。そういえば、コディはまだ生きた魚を見たことがなかったな、と思い出して、このミミズを餌にして近くの湖で魚を釣って見せてやろうと思いたった。イヌ餌の空き缶に拾い集めていたらものの10分で2、30匹もの若ミミズを手に入れることが出来た。


裏庭から続く獣道を20分ほど行くと湖です。




 ところがこうして天気が良いと皆考える事は同じだったようで、湖に着くと自分のお気に入りのスポットにはことごとく先客がおり、結局湖の端っこの橋の上しか空いていなかった。ここは小さな魚とナマズしかおらず、また春先にさかんに釣られてしまうので非常にスレてる用心深い魚ばかりなのだ。う~ん残念・・・。とりあず、さっき獲ったミミズをつけて糸を垂らしてみる。


ちゅれるかな?

まだかな~まだかな~

 こうして1時間以上辛抱強く待っていたコディの忍耐も空しく、釣果はなんとゼロ。途中で何度かカメが引っ掛かりそうになっただけでした。な、情けない。とても小さい橋なので、至近距離で人々や自転車が間近に通っていくのを見る練習にはなっただろうから、ヨシとした(好意的解釈!)。




 待ちぼうけのままでは可愛そうだったので、帰りに森の中の「道場」と呼んでいる場所へ連れて行き、とってこい遊びをして遊んだ。森林や緑地を歩いていると時折こうして雨水に自然に削られた、スロープのように窪みこんだ場所に出くわすことがあるけれど、こうした坂路の底に向かって「とってこい」していると、傾斜の上り下りで短時間でもイヌを沢山運動させることが出来るので、とても便利だ。床も、落ち葉と腐葉土で程よくフカフカになっているので足を痛める心配も少ない。

 ところでコディの「とってこい」に関して、たとえオモチャ探している最中であっても、「オイデ」でそれを中断して、戻ってこれるようにできないかなあと考えている。コディはオモチャが見つかるまで一生懸命探し続け、なかなか諦めないので、たまたま変な所にオモチャが落ちてしまった時や、途中で野生のシカやハイカーが接近してきていることに気付いたとしても、手元に呼び戻す術がないのだ。どういう風に教えたらいいのか頭を悩ませている課題のひとつとなっている。







2015年7月19日日曜日

コディ、デイケアへ行く。ほか

道端のチコリーの花

 犬関係の備忘録・ノート代わりにはじめたこのブログですが、つけはじめて半年ちょっとが過ぎ、ノートの役割は今十果たしていないような気がしてきたのと、私生活が徐々に忙しく・・・というほどではないがなんとなくワサワサしてきたことで、今後は月3回くらいの更新を目途にのんびりやっていこうかなと思っています。そんな怠け者の「わし」でもよろしければ、またお付き合いください。






 「私生活がワサワサ」の主な原因ですが、実は自分の第一子の誕生が約2か月後に迫って来たというのがあります。今、30週目になりましたが、これまで殆ど目立たなかったお腹も急にドンと大きくなり、スーパーなどでようやく「荷物持ちましょうか?」と言ってくれる人が現れる、という段階に達してきました。なぜか知らねど事あるごとにコケそうになるし、いやあ、妊娠するって大変ですね。でもそんなことより現在進行形で一番厳しい思いをしているのは、最近、というかここ半年ほどずっと気分が抑うつ状態的な、塞いだ状態になってしまったことでした。仕事やバイトをしたり、メールやブログなどものを書く分にはほとんど影響はないですが、私生活ではすっかり消極的な人間になってしまい、どちらかというと社交的で出たがり・イベント好きな奴だと思っていた自分の地の性質を垣間見たような気がしています(ちょっと面白いのが、ずっと昔は神経質で自分の世界に閉じこもる、非社交的な子供だったのです。回帰?)。まあ、新たな人間を一人生産するというのは、自分もまた一回原始的な状態にもどって一からやりなおすってことなのかもな、と無理なこじつけをして納得しています。このような日々の中で無理やりにでも外出して太陽を浴び、人と喋る機会を作ってくれていた犬には感謝しています。

 そんなこんなだったんですが、ここの所さらなる事件が「わし家」を襲っていました。夫である人間(♂)が膝の半月板を損傷し、これから数か月かけて手術→フィジカルテラピーを行う事になったのです。この、ドンドン暑くなる季節に、ドンドンでかくなる腹とイヌの世話を一手にせざるを得なくなり、「わし」は一体、どうなってしまうのか!続きはまた来週!!(笑)といったところです。ガンバロウ。因みに上の写真は自宅の乳児用の部屋の壁(コンセントカバーをとったところ)。仕事部屋から改装したので、自分で壁とトリムの軽い修復~養生、ペイント、家具の選定・組み立てまでをやりました。これまでの半年間、なかなか気分が乗らず後回し・後回しにしていたものを、週末の2日間で一気にすませたので駆け足作業になりましたが、無事一通り終わらせてスッキリしました。ペイント中窓を開けていたので暑かったな~。

 では、ニンゲンの話が長くなりすぎましたので、イヌの話題に移ります。


image source: National Geographic  (Link)  Photograph by Adam Ferguson


 独立記念日は過ぎてしまいましたが、今年も軍用犬のアソシエーション - The U.S. War Dog Association, Inc.に寄付しました。集められた募金は主に退役した軍用犬達の輸送費用や、医療費、再訓練費など、厳しい訓練やオペレーションに耐えたあと、穏やかな余生を共にしてくれる家族の元へ引っ越すために費やされるようです。犬用のオモチャやベスト、ゴムボール等、物品などもほとんど常に不足しているそうなので、これらのアイテムで新品かつ使っていないものが複数余っていたりする場合、寄付するのもいいかも知れません。



募金のお礼に?バンダナをもらいました。




 イヌの話題その2です。家の犬「コディ」は6ヶ月を過ぎ、CGC(優良家庭犬、ケーナイン・グッドシティゼン-有志の方がまとめてくださった概要)のクラスも最終回を迎え、いよいよ来週はテストというところまでやってきました。今まで時間をみつけてちょくちょく練習していたものの、まだまだ練習時間的に不十分感があるのと、上手なリーシュウォークとセパレーション(イヌのリードを一定時間見知らぬ人に託す)の克服が大きな課題になっています。シェパード系の犬は飼い主への執着が非常に強い個体が多く、セパレーションの項目が上手くできずに落とされる犬が結構いるそうです。コディも例にもれず、自分が立ち去ると分かった瞬間追いかけようと必死になり、戻ってくると(クォ~ンと変な声を出しながら)ジャンプしてしがみつこうとするので、本当に少しづつ時間をかけて飼い主は一定時間見えなくなっても、必ずまた帰ってくるという概念を教えてやらねばなりませんでした。また、離れる前に「ちょっと待っててね」と声を掛け、立ち去るようにすると、ノーリアクションで立ち去るのと比べ心の準備が出来るのか、比較的うまく待っていられるのが分かってきたのもめっけものでした。犬のトレーニングと一口にいえど、みんなそれぞれ癖も違えば、問題も多種多彩、それについての克服法も本当に一匹一匹少しづつ異なるので、面白いですね。こちらでは、特にオビディエンスやアジリティは4~50代の女性の趣味、という印象があるんですが、こうして自分も齧ってみると結構楽しいし、ソーシャルな趣味なので、ハマる人の気持ちが分かったような気がします。






 話題その3。ニンゲンの乳児の部屋のセットアップをするにあたり、まとまった買い物をする時間が必要になりました。そこで初めて「イヌのデイケア」を利用してみたのですが、これがなかなか良かったです。いつも、犬を置いての外出時はコディがクレートの中で寂しくて泣いてるんじゃないか、退屈してベッドを破壊してるんじゃないかと(実際はほとんどの場合爆睡している)、妄想がモリモリと湧いてきてしまうたちなんですが、デイケアなら他の人の目がある分、多少安心感がありました。今回利用したDogtopiaというデイケアでは、携帯にインストールしたアプリからデイケアのウェブカメラにアクセスして、自分の犬が何をしているか確認できるのも助かりました。アプリを見るのにはまってしまってなかなか自分の買い物がはかどらなかったのは誤算でしたが。



最後にこんなカードをもらいました。

どうやら楽しかったようです。




 おまけ。冒頭にも写真がありますが、ドッグランの柵の外側の雑草が、こんなかわいい花をつけていましたよ。以前、カナダをロードトリップした際に道路脇によく咲いていたので「カナダの雑草」と呼んでいたこの花、正体は中央アジア原産のハーブ「チコリー」でした。ウィキを読んだらどうやら北米に移入・定着しているようですね。もっと大きく茎を広げ沢山の花をつけた綺麗な株も見かけるのですが、それらはいつも「中央分離帯の左折レーンの脇」とか、絶妙に停まりにくい場所に生えているので、なかなか写真が撮りづらい植物でもあります。この涼しげな淡藤色が、じっとり暑いバージニアの暑気を払ってくれるような気がします。