2018年1月30日火曜日

ぼうし事件/体罰訓練

新しい車に自力で乗れない弱虫だと分かり、特訓中


 今朝、強風のドッグランで遊ばせていたところ(寒かった!)、かなり強い突風が来て、かぶっていた薄手の野球帽が、あっという間に20メートルほど向こうへ行ってしまいました。「あッ!」と声を出したところ、コディが駆け寄ってきたので、思わず「コディ君帽子取って!」と言った所、ぴゃ~っと走って行って拾い、私の手の上に持ってきて置いてくれるという出来事がありました。今まで、こんな口語口調でなにかさせようとしたこともなければ、帽子を「トッテコイ」させたことなどもなかったので、単語単語でというよりは全体の雰囲気で内容を把握したのでしょうが、一度で言われた事がすぐ分かった事にとても感心しました。本当に、あまりにもタイミング良く現れて助けてくれたので、まわりのドッグオーナー一同から拍手が起こっていた(笑)。


 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組で「ワンチャンスペシャル」が組まれていたので視聴しました。ふわふわした可愛いネーミングに反して内容が濃くて見応えがあった。フォーカスされていたのは著名なトリマーの方、悪性腫瘍専門の獣医さん、噛む犬の訓練士さん。訓練士は、北栃木愛犬警察犬訓練所の中村さんという方が取材されていました。所謂体罰込みの独特の訓練スタイルをされてるみたいで、かなり賛否両論ありそうですが、本当に心血を注いで頑張っているんだということは「犬の遊びタイム」でファインダー越しに和犬がゴロゴロ出てくるのを見て感じました。どれも普通に考えたら殺処分になってるような犬ばかりだと思いました。

 私もかつて、日本で知人のケンネルに居候していた時文字通り手の付けようがない、行きつく所まで犬格が荒廃した柴犬の身の回りの世話を手伝ったことがあるので、一般的に言われているドッグトレーニングの方法論がおよそ意味をなさない犬、特に洋犬を「ふつうに」飼い育て「ふつうに」躾けて問題なく暮らしていけてる殆どの愛犬家にとって、想像も出来ない事が和犬で起こりえると学びました。かわいい仔犬を育てていたのに、いつの間にか半野生の猛獣になってしまう感じで(近付くと雄たけびを上げはじめ、飼い主であっても体の毛一本でも触ろうものなら本気で噛みに来ます)、かなりの根気とテクニックを費やさないと直らない犬、というか普通の人は直せないので殺処分されてしまうのですが、そういう犬がときおり出てきます。フィジカルにビシビシやる訓練法に否定的な人は多いと思いますが、一度でもそういう犬を経験すると、正直なところ一定の理解が出来てしまいます。

 自分自身のことを振り返ってみても、私は今は比較的おりこうといえる「コディ」という犬に恵まれていますが、今の犬とほぼ同じやりかたで躾けた先代のドーベルマンはおりこうと言うには程遠い状態でした。ですから、飼い主が用意できる環境はもちろん遺伝や犬との相性、犬に副次的な情報を与える存在(例えば同居の家族。とりわけ子供やお年寄り)によって、訓練環境が劇的に変化してしまうことや、飼い主一人が頑張っていても、犬がおかしくなっていく状況も現実として起こりえるという事は実際に経験しています。テレビに出ていた噛み犬の飼い主さん達も皆頑張ったけどダメで、疲れてしまい、それでも我が子を愛している様子が伝わってきて、たいへん心が痛みました。

 ドッグトレーニングの方法論は星の数ほどありますが、犬が人間社会の生活にきちっと適合出来、正しく人とコミュニケーションがとれ、飼い主さんも納得できて、精神的にも安心させてあげられるのが「良い訓練」の条件ではないかなぁ、と思っています。この3つのバランスのどれかが欠けると、コマは回らないイメージです。だから犬が人間の世界でどうしてもどうしてもうまくいかない場合、物理的な力の行使を辞さないという心構えは理解できます。

 私が、大きな犬の飼い主だからかもしれません。「イヌ本来の性質やQOLはどうなる、ヒトの都合の押し付け、傲慢」と言われれば、そうなのですが、私にとってはそんなことよりも自分の犬が自分や家族や、だれかの生活を危険にさらさない、いつなんどきでも社会秩序を乱さない、そういったことの方がまず重要です。「そうできるよう努力している」とか、言い訳はダメなのです。世の中の人は結果しか見てくれません。この約束をやぶれば愛犬の命はなくなります。凶暴そうな大型犬の愛犬に向けられる社会の目を一度でも経験した事のある者なら分かります。だから、愛犬との全ての楽しみは、上記のような「社会の一員としての義務を果たした」その後にあります。

 NHKのこの放送後一部の愛犬家やトレーナー界隈が騒然としていると知りました。シーザーミランにしても、中村訓練士にしても、武闘派のトレーニングはよく批判され、実際自分だったらやりはしないだろうと思う訓練方法も多いです。しかしプロの訓練士さんが誰かにお金をもらって、飼い主の人生と飼い犬の生命がかかっているプレッシャーの中、何十年も人生の時間と労力を投資して編み出してきた方法論について、一定の敬意を払いながら議論する必要性を感じます。


2017年12月31日日曜日

新しい一年



 新しい一年が始まりました。今、北バージニアでは日中でも気温がゼロ度を割っていて、ー7℃から夜はー20℃くらいまで下がる日もありますが、コディはこの気候が好きなようで、隙あらば外に出てベランダに寝っ転がったり、散策して森の生物の匂いを探したりして過ごしています。この犬は本来は半ソトイヌなのだなあと思う瞬間です。今年もよろしくお願いします。


クラスメイトのみんなと

 去年の末頃にがんばっていた優良家庭犬のトレーニングは、もともと受けていた中級(CGCA)のほか、トレーナーの厚意で上級(CGCU)のテストも受けさせてもらえ、よい結果を残す事が出来ました。コディは生後六か月の時に一度CGCの検定を通っているので、セラピーワークの基礎としては本来はここまで練習を続ける必要はなかったですが、こうして一度覚えたことの復習をしたり、さらに刺激の多い場所で応用的な題材を練習していくのは、犬のメンタル面にいい刺激があると思いました(飼い主の方も夜な夜な家を抜け出す口実が出来てよかった)。


モールで、初めてメリーゴーランドを見た

 メンタルと言えば、今回のトレーニングを通して、犬も心理的に大人になっているんだなぁ、というのを強く感じました。コディは表面的にはソフトで穏やかですが、根は自立していて結構頑固なところもあり、言われたことを自分で再考するので、意外なところで思いもよらない反応を示したり、特殊な状況下ではキューを無視する傾向があります。また、基本的には私の号令がないとエンジンがかからないようです。犬本人の社会生活を安全かつラクにするために「いつでも、誰の言う事でも聞ける犬にする」ということを念頭に練習してきましたが、難しいのかな、と思い始めました。

 トレーナーの人にもらったコメントも、「ソリッド、bombproof、知的、多分どこに出しても大丈夫」と言ってもらえた反面、「この犬は従順で穏やかだというフリをしている」と言われ、やっぱり透けて見えているのかなあと思いました。今回一緒に練習してきた菩薩の様に穏やかで、天使のように優しいセラピー犬候補のクラスメイトの面々と比べると、コディは何だかそういうタイプではないように見え、本当にそういう方面の作業に向いているのかどうか、よく分からなくなってしまいました。

 とりあえず当面は引き続きセラピーの練習を続けながら(年齢が上がるにつれてもっと穏やかになっていくだろうし)、今年からは出来そうなら他のドッグスポーツにもトライしてみようかなあ、そのためには何とかして時間を捻出していかんとダメだなあ、などとつらつら考えた、新しい年の始まりとなりました。